私はこの大震災以来、人生観が変わりました。現実は非情です。情け容赦など一切などありません。

あの日・・、家族が秒単位で生死を分ける場面に直面したり、知人が数多く、命を落としました。

しかし、私は被災地の現実を伝えるために生かされたと思っております。「この現実」を風化させてはいけない!
私はメッセンジャーとなって、「現地でしか知ることができない」被災地・被災者の真実をお伝えしております。
私の近所(集落)の様子、多くの家が津波で流失しました。家屋が残っている家でも、確実に一階は壊滅しています。
写真で見ると、フレームがあるので限りがありますが、現地は360度このような瓦礫が散乱する状態です。
住める家屋は一軒も残っておりません。多くの家は基礎だけが残っている状態です。
そしてその流された瓦礫の多くは、1キロ先の住宅地まで流れ、2メートルの瓦礫の壁を形成していました。
海岸から数百b離れた運河まで船が運ばれている。 堤防を乗り越え、道に船が乗り上げている。
車のボディーがメロメロに溶けたようになっている・・もう原型を留めておりません。恐ろしい津波の力・・
運河や田んぼにも車や瓦礫の山・・山・・山・・。この瓦礫の下から多くの方の遺体が見つかっています。


家屋の二階部分だけや屋根だけ、基礎から外れた家が数百メートル流され、道を塞ぐ光景があちこちで・・
私が住んでいた東松島市大曲浜地区(約500世帯)だけでも、318名の尊い命が奪われています。
それもなんと・・1キロ以上先の住宅地まで流されている遺体も多かったのです。
本当に何もなくなってしまった・・私が住んでいたこの集落は、市によって住居全てを解体、そして更地にされます。

一回リビングの状態。PCデスク、PC、コタツなど(重いものまで)、あらゆる物が家の外へ流失して無くなっていました。
キッチンも無残な状態に!冷蔵庫も浮いて横倒しに・・ 他所の瓦礫やタイヤまで室内に流れ込んでいました。
対面式カウンターの上にも瓦礫の山・・ 床には数センチの泥が沈殿して異臭を放っています。
我が家は二階の半分まで浸水したので、一階の天井がメチャクチャになっている・・
また、天井に団扇や紙の封筒、カーテンなど、薄いものが隙間という隙間に食い込んでいる!水の力は想像以上。
リビングから扉を破り、玄関に流れついた瓦礫。 一階天井の蛍光灯のカバー内に水が溜まっている。
我が家は鉄筋住宅なので、流失・倒壊は逃れることができましたが、当然住むことができません。(罹災証明で全壊扱い)
我が家の一階。ガスボンベが流され壁に穴が・・ 愛用していた仕事用のカバンも泥にまみれていました。



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