地元語り部ツアーでの車窓から説明する場所をご紹介。


今年に入ってから、被災地語り部ツアーのご依頼が増えております。
旅行会社からの依頼も多いですが、個人にて家族連れの方も多いです。

やはり被災地を一目見ておきたい・・
子供に何かを感じて欲しい・・
今行かなければ後悔する・・などなど理由は様々です。


こういったご要望があるいうことは、みなさんの中にも
行けるものなら行ってみたい・・しかし行けない・・
そんな方も多いことでしょう。


そこで・・現地に来れない方のために、今回・・
Web上ではございますがご案内します。
では・・ご覧頂きましょう。




●私が住んでいた大曲浜(以下画像)から石巻、
長渕氏が紅白歌合戦で「ひとつ」を歌った地を目指します。
※大曲浜地区は、500世帯1,700名が住んでおり、266名の方が犠牲になりました。




●大曲浜で被災状況、私の家族の津波から逃れた話をした後・・
石巻方面に向かいます。

ここは本来の道。舗装がはがされ、「石巻市」との境界を示す看板も倒れたままです。
この先は橋が決壊しているため、仮の橋が作られました。




●仮の橋を進みます。




●本来の橋が決壊した部分に差し掛かります。
みなさん、写真を撮られるポイントです。しかし、後続車があるとゆっくり走れないため
撮影も厳しい・・です。




●流された船がぶつかって決壊したと言われています。




●橋を渡って、交差点を右折して石巻港方面に進みます。
一帯は、解体されないままの工場と更地が広がっています。




●石巻工業港につくと、船でどこかに運ばれると思われる瓦礫の山があります。




●このようにトラックで運ばれきます。




●クレーンで船に積まれていきます。
コツコツこういった作業の繰り返しです。




●この間まで震災直後のままだった石巻港の倉庫なども解体されはじめました。




●さらに東へ進むと、日本製紙石巻工場が見えてきます。




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以下が、日本製紙石巻工場の当時の被害状況写真です。




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●構内にコンテナ専用の駅があります。津波で線路もグチャグチャになったので
全て敷き直して、再開しました。




●震災でコンテナも全て水没しましたが、現在は元通りに営業されています。
むしろ、コンテナ数が震災前より多い感じがします。




●日本製紙を海に沿って進むと、瓦礫を24時間体制で処理している
焼却場があります。とっても広大な敷地に建設されました。
石巻市では市の年間焼却能力の50年分の瓦礫が発生しました。
※年間焼却能力6万トンに対して、300万トンの瓦礫が発生しました。




●一部ですが、震災後稼動していない手付かずの工場の存在します。




●被災車両が見えてきました。自動車やバイクといったように分けられています。
以下がバイクだけの部分です。




●これは、当時の津波で運ばれてきた泥を袋に詰めて重ねてありますが、
ご覧のように破けて強風で舞っていることもあります。
これは吸っては人体に有害だと思うのですが、この状態が100メートル以上続きます。




●土嚢の次に、瓦礫が見えてきます。
分別しながら処理しているので、だいぶ時間がかかっていますが、徐々に減ってきました。
この瓦礫置き場(元々運動場)の交差点を左折すると、
正面に長渕氏が紅白歌合戦で「ひとつ」を歌った・・




●門脇小学校が見えてきます。
※門脇・南浜地区は、1,740世帯4,600名が住んでおり、
400名以上(約1割)の方が犠牲になりました。




さらに、この門脇地区で、車から降りてご覧頂く地がございますので
別ページでご覧頂きます。


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レポート、執筆:中井政義
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