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被災前のプロフィール

東日本大震災を風化させない活動推進センター
宮城県東松島市大曲字筒場3-1 C101
TEL:0225−84−3558


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『東日本大震災を風化させない活動推進センター 』所長の中井政義と申します。


3月11日の東日本大震災により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、
被災された皆様・ご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。


私自身も、市の65%が浸水した東松島市に住んでおりました。
その東松島市の中でも、大曲浜という海岸沿いに居りましたので
津波により住宅が全壊致しました。


大曲浜地区自体壊滅し、全壊地域となってしまいました。
約500世帯の小さな集落ですが、266人以上の方が犠牲となりました。
その中には、ご近所様など顔なじみが多数含まれております。


そして私も被災者となり、家族の安否が分からないまま、数日間過ごしたり
初めて避難所生活を送るなど、精神的にも辛い経験をしました。


そして、時間が経つに連れ、一つの疑問が湧いてきました。


それは・・
「なぜ、これだけの方の命が奪われたのか?・・」ということです。


答えは明確でした。


多くの方が、「こんな大きな津波が来るとは思っていなかった・・」といいます。
沿岸部の方は、過去の経験や慣れもあり、地震後逃げなかった方が多かったのです。


無理もありません。
今まで散々津波警報に裏切られてきたわけですから。


今回も殆どの方が思ったはずです。
「どうせ、今度も大したことが無いだろう!・・」と。


しかし、今回ばかりは違っていました。
実は過去にも三陸地方においては、「明治三陸地震」「昭和三陸地震」による
大津波を経験しているのです。


今回、多くの方がこの「明治三陸地震」「昭和三陸地震」の存在を知らずに
そして、教訓も生かされずに亡くなられたのです。


無理もありません。
その二つを語り継ぐ方は、もう生きてはおりませんから・・


私はこの「明治三陸地震」「昭和三陸地震」を刻銘に記録した
「三陸海岸大津波」(吉村 昭著)を読んで、ショックを受けました。

それはこの本で書かれている地獄絵図は、まさに今回の東日本大震災を
描写したような内容なのです。


私は今年で47歳になりますが、親から昭和35年の「チリ地震津波」の話は聞きましたが、
「明治三陸地震」「昭和三陸地震」の話は聞いたことがありませんでした。
(この2つ以外にも1616年〜1894年にかけて、三陸で18の津波が記録されているのです)


今回の東日本大震災を機に、「明治三陸地震」「昭和三陸地震」を新聞で知りました。
その時、物凄く残念に思いました。それは・・


過去に三陸でこのような大津波が幾度と来ているのなら、義務教育の過程で
もっと津波に怖さを肌で感じる教えをしておくべきだったのでは?・・と。


明治から昭和に受け継ぎ、私たちの親世代が、「明治三陸地震」「昭和三陸地震」の
教訓を真剣に語り継いでいれば、もっと多くの方が助かったと思えてなりません。


そして、私は決意しました。


「明治三陸地震」「昭和三陸地震」、そして東日本大震災を後世にきっちり伝えようと。
それがこの『東日本大震災を風化させない活動推進センター 』のミッションです。


皆さまの共感、ご支援、協力が必要です。
どうぞよろしくお願い致します。


『東日本大震災を風化させない活動推進センター 』所長中井政義


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